観光コース
その他・名所紹介 おすすめ名所・旧跡(福岡の知られざる歴史的遺産)
歴史好きな方注目!! 次世代に語り継ぎたい郷土福岡の歴史!

幕末の福岡と筑前勤皇党
一般には坂本龍馬の業績といわれる幕末の薩長同盟ですが、実現に至った背景には、それ以前の筑前勤皇党による粘り強い薩長和解交渉がありました。月形洗蔵ら筑前勤皇党の志士たちは、薩摩の西郷隆盛、長州の高杉晋作、土佐の中岡慎太郎らに、皇国の危機には薩長の和解が絶対条件である、と早い段階から説き続けていました。
節信院

福岡藩家老で筑前勤皇党の領袖として幕末に活躍した加藤司書公の墓所がある。加藤家の菩提寺。
加藤司書公歌碑(天福寺跡)

加藤司書公が藩内における勤皇派弾圧事件「乙丑の獄」により切腹した天福寺の跡。
加藤司書 歌碑(銅像跡)

かつて加藤司書公の銅像が建っていた場所。銅像は戦時中の金属供与により消失。
平野國臣像

福岡藩で最初に尊王討幕を唱えた維新の先駆者。「幕府滅亡・国家統一」「一君万民」を唱え、たった一人で天下を動かそうと、全国の志士たちを鼓舞した。
平野神社

福岡の幕末の志士・平野國臣を祀る神社。場所は平野國臣の生誕地。有名な「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば烟はうすし桜島山」の歌碑もある。
平尾山荘

幕末の女流歌人野村望東尼の別荘。長州の高杉晋作が福岡に亡命した際にはここに匿われ、その後の功山寺決起を決意した。
少林寺(月形洗蔵墓所)

早くから薩長同盟実現に向けて周旋した月形洗蔵の墓所。薩摩の西郷隆盛は月形を「志気英果なる、筑前においては無双といふべし」と称えた。
野村望東尼御堂

乙丑の獄により野村望東尼が流罪牢居となった場所。望東尼はのちに高杉晋作の命を受けた藤四郎(福岡脱藩浪士)らにより救出された。
福岡城の南側エリア(現在の赤坂、桜坂)
福岡城の南側(現在の赤坂、桜坂)はかつて下級武士の屋敷があった場所で、野村望東尼、月形洗蔵、加藤司書公ゆかりの旧跡がある。
野村望東尼誕生之地/中央区赤坂3-4
月形洗蔵居宅跡/中央区赤坂3-3-24
加藤司書公屋敷跡/中央区桜坂2-10
太宰府天満宮は維新の策源地!
文久3年(1863年)の「八月十八日の政変」で京の都を追われた三条実美ら五卿は、筑前勤皇党の勧めにより長州から太宰府の延寿王院に移ります。
その後、延寿王院には西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬、木戸孝允、伊藤博文などの錚々たる維新の志士をはじめとした諸国の勤皇の志士が盛んに往来し、五卿を迎えた太宰府天満宮は維新の策源地となりました。
その後、延寿王院には西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬、木戸孝允、伊藤博文などの錚々たる維新の志士をはじめとした諸国の勤皇の志士が盛んに往来し、五卿を迎えた太宰府天満宮は維新の策源地となりました。
日露戦争の勝利と福岡
日露戦争の勝利の陰には、ロシア国内・ヨーロッパにおける諜報活動や、アメリカでの世論工作等がありました。そこで特に大きな役割を果たしたのが、ともに福岡出身の明石元二郎と金子堅太郎です。
勝立寺(明石元二郎墓所)

日露戦争時にロシアやヨーロッパにおいて諜報・攪乱工作を行い、日露戦争の勝利に大きく貢献した明石元二郎の墓所。
西南戦争時には政府軍の本営となった。
金子堅太郎 生誕地

日露戦争当時の米大統領セオドア・ルーズベルトとハーバード大学の同級生で、戦時中にアメリカを巻き込んだ和平工作に尽力した金子堅太郎の生誕地。
自由民権団体「玄洋社」
世間一般では「右翼」と称されることの多い福岡の玄洋社ですが、実際は自由民権運動から派生し誕生した団体でした。当時の構成社員の職業も非常に幅広く、地域コミュニティー、共同体といっても過言ではなく、実態は世間で抱かれる危険なイメージとは程遠いものがあります。孫文の革命を支援するなど、アジアに目を向けたことも自由民権運動の延長線上にあり、当時欧米列強による植民地支配で苦しんでいた人たちのことを見過ごさず、助けたいと思う気持ちを具体的な行動に移したものでした。
戦後GHQにより右翼団体のレッテル貼りをされ解散させられたことで、今なお世間に残る虚像を修正すべく、地元の心ある有志の方々が地道に活動を続けられています。
戦後GHQにより右翼団体のレッテル貼りをされ解散させられたことで、今なお世間に残る虚像を修正すべく、地元の心ある有志の方々が地道に活動を続けられています。
頭山満手植之楠

頭山満が11歳の時に「楠木正成のような人になりたい」と願いを込めて植えたというクスノキがある。頭山満の生家跡。
崇福寺 玄洋社墓地

人参畑塾の高場乱をはじめ、玄洋社の頭山満、来島恒喜など多くの玄洋社社員が眠る。ちなみに崇福寺には、黒田官兵衛・長政親子の墓所もある。
玄洋社跡

玄洋社がかつてあった場所。現在は大手企業のビルのある敷地の一角に石碑が立っている。
廣田弘毅像

福岡県出身の初の総理大臣。戦後東京裁判において死刑判決となるが、判事の一人は「広田が戦争に反対したこと、そして彼が平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くしたということは疑う余地が無い」と明確に無罪を主張した。
中野正剛先生碑

福岡市出身で、修猷館を卒業後、早稲田大学に進み、朝日新聞記者、その後は衆議院議員として活躍。戦時中の東條英機内閣による統制経済や言論統制などの「独裁」を強く批判したため弾圧を受け、その後自決に追い込まれた。
緒方竹虎先生屋敷跡

ジャーナリスト、またその後は政治家として、戦前・戦時中から情報(インテリジェンス)を国家戦略に活かすという課題に取り組み、戦後は日本版CIAの創設に奮闘した。現在の自由民主党をつくった中心メンバーの一人。
廣田弘毅先生生誕之地

福岡県出身の初の総理大臣である廣田弘毅の生誕地。出光興産の創業者、出光佐三氏が揮毫。
中野正剛先生生誕地

中野正剛の生誕地。
参考文献
浦辺登『太宰府天満宮の定遠館』弦書房, 2009年
浦辺登『玄洋社とは何者か』弦書房, 2017年
浦辺登『維新秘話福岡』花乱社, 2020年
江崎道朗『緒方竹虎と日本のインテリジェンス』PHP新書, 2021年
浦辺登『玄洋社とは何者か』弦書房, 2017年
浦辺登『維新秘話福岡』花乱社, 2020年
江崎道朗『緒方竹虎と日本のインテリジェンス』PHP新書, 2021年
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