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【祝 NHK大河ドラマ化決定!】 黒田官兵衛について (後篇)コラム

2012年11月17日

【祝 黒田官兵衛NHK大河ドラマ化決定!】

平成26年のNHK大河ドラマが、『軍師官兵衛』に決定しました。
当社福岡交通のFacebookページでは、福岡の観光地を紹介する連載の第一弾として黒田官兵衛(如水)についてご紹介しました。黒田官兵衛の大河ドラマ化決定にあたり、原稿を一部加筆修正し当ホームページでもご紹介させて頂きます。今回は後半部分です。


◇福岡の観光地ご紹介◇
御鷹屋敷跡/福岡城跡と黒田如水

黒田如水(官兵衛)は、竹中半兵衛と並び戦国時代を代表する軍師であり、豊臣秀吉の天下統一の最大の功労者ともいわれています。

豊臣秀吉がある時、自分に代わって次に天下を治めるのは誰かという話をした際、家臣からは「徳川家康」や「前田利家」等の名前が出る中、秀吉本人は黒田如水(官兵衛)の名を挙げ、「官兵衛に100万石を与えたら途端に天下を取ってしまうだろう」と言ったというエピソードがあるほど、如水の能力は優れていました。如水がその働きのわりに少ない所領しか与えられなかったのも、秀吉が如水を怖れていたためだといわれています。

その後秀吉は亡くなり、徳川家康と石田三成による天下分け目の決戦へと時代は動いていきます。そして、ここで黒田如水がある行動に出ます。


黒田如水(官兵衛)
(平成26年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』ではV6の岡田准一さんが演じるそうです)

豊臣秀吉亡き後、黒田如水は上方での石田三成の動きを見ながら、豊臣政権は分裂し天下に大乱が起こり、それが一年は続くだろうと予測しました。当時如水は、豊前中津(大分県中津市)にいました。家督を譲っていた長男の黒田長政は家臣の主力を率いて徳川家康と行動を共にしていたため、如水はわずか二、三百の留守の士卒とともに中津城に残っている状態でした。

やがて石田三成が挙兵し、家康との衝突が避けられない状況になったことを知ると、如水は素早く行動に出ます。留守の士卒に加え、中津城に蓄えていた金銀を惜しげもなく放出し全九州に触れて兵を募集し、その兵を率い、“内府(家康)にお味方し”九州の石田方の城を次々と落としていきます。

そして関ヶ原では、ついに徳川家康と石田三成による天下分け目の決戦が始まります。しかし如水が長引くであろうと読んでいたその戦いは、わずか一日で家康方の勝利に終わってしまいます。如水にとっては大きな誤算でした。


関ヶ原古戦場
 (岐阜県不破郡関ケ原町)
 
黒田如水が描いた作戦は次のようであった、と言われています。まずは諸大名が出兵し空白になっていた九州を平定、そして兵力を増やしつつ中国地方を攻め上り、最後に長期戦で疲弊した関ヶ原の勝者(如水は家康が勝利すると予測)と対決し勝利する、というものです。

しかしこの作戦は、関ヶ原の合戦があまりにも短期間で家康側の勝利で終わってしまったため、如水の思い描いた通りにはいきませんでした。そして皮肉にも、石田三成方の諸将を調略し寝返らせ、家康の短期間での勝利に大きく貢献したのが、如水の息子の黒田長政でした。


黒田長政
(数々の戦で大きな武功を挙げた勇猛な武将として知られています)

関ヶ原から戻った黒田長政は如水に対し、家康公はこの勝ちは甲斐殿(長政)のおかげでござると、私の手を三度まで押し頂いた、と誇らしげに語ります。しかし如水は苦い表情で、家康がとったというそちの手は、左手であったか、右手であったか、と問います。
「右手でございました」
長政が答えると、如水はこう言います。
「すると、そちの左手は何をしていたのか」
なぜお前は空いた左手で家康を刺さなかったのか、ということでした。

のちに関ヶ原当時の自身の行動について、黒田如水は息子の長政にこう語ったと言われています。
「お前には気の毒だが、あのときわしはお前を捨て殺しにして勝負へせり出すつもりだったわい」

 
<福岡城跡の下の橋御門>

黒田長政は、関ヶ原での戦功により徳川家康から筑前国に52万石を与えられます。
一方の如水も、九州での働き(家康方の“ふり”をして石田方の城を落としていったこと)により恩賞を申し出られますが、それを固辞し、長政に「御鷹屋敷」を建ててもらい隠居生活をします。徳川家康は如水の思惑に気付いていたとも言われており、如水は自身への疑いで黒田家に影響が及ばないよう、完全に隠居の身となります。御鷹屋敷での如水は、市井に出て気さくに庶民と接し、家中の子供たちとも遊んだりしながら静かに暮らしたと言われています。

黒田如水(官兵衛)について、作家の司馬遼太郎氏は次のように書いています。
「官兵衛には、おかしいほどに欲得とか栄達欲とかいうものはほとんど見られない。身を自由にし、当人が嗜好する芸をこの世でやってみたかっただけだということは、かれの晩年の姿を見ても想像がつく。水の如しなどと称したこの男は、人生など水の上に描いた絵のようなものだと思っていたのではないか。」

黒田如水が晩年をこの御鷹屋敷で何を思い過ごしていたのかは本人のみの知るところですが、福岡城跡にいらっしゃる際には、こうした如水の生涯に思いを馳せながら、是非「御鷹屋敷跡」を訪れていただければと思います。「御鷹屋敷跡」は三の丸跡の現在のぼたん・しゃくやく園の中にあります。
黒田如水(官兵衛)の好きな方には是非訪れて頂きたい、福岡の隠れた観光名所です。


<御鷹屋敷跡>

黒田如水(官兵衛)についてご紹介したエピソードはほんの一部で、他にも如水がいかに魅力的な人物であったかを伝える話は数多くあります。主人公として描かれた小説も複数あり、ちなみにここで紹介させて頂いた話は『播磨灘物語』(司馬遼太郎)を参考にしています。

黒田如水と長政ゆかりの地をタクシーで観光される場合は、「黒田52万石めぐりコース」(3.5時間)が大変お得で便利です。福岡城跡の他、黒田家ゆかりの品が展示されている福岡市博物館や、黒田家の菩提寺である崇福寺、その他にも博多の人気観光スポットである櫛田神社や博多町家ふるさと館をめぐります。お気軽にお問い合わせください。

<黒田家の菩提寺である崇福寺(福岡市博多区千代4-7-79)
この門は福岡城の本丸表御門を譲り受けて使われているそうです。

観光コース「黒田五十二万石めぐりコース」はこちら

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